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文化・歴史 パラオ

歴史

 

パラオの初期の歴史は、今なお不明な部分が多く、なぜ、どのように人々がこの島に辿り着いたかは分かっていません。しかし、最近の研究によれば、今日のパラオ人はインドネシアのマレー人や、ニューギニアのメラネシア人、ポリネシア人などの遠い親戚にあたるとのことです。最初の人々が辿り着いた時期については、ロックアイランドにある最古の村落やバベルダオブ島にある台地から発掘された道具類の年代測定から、およそ紀元前一千年頃と推定されています。

パラオ人と外国人との最初の接触は、イギリス人ヘンリー・ウィルソン船長率いるアンティロープ号が、コロール島とペリリュー島の間のウーロン島付近の暗礁に乗り上げて難破したときの1783年になります。ウィルソン船長とその部下たちは、船を修復する3ヶ月間滞在し、以来、多くの探検家がパラオを訪れ、この島は更なるヨーロッパ人たちとの接触に晒されることとなりました。

外国人による統治は、1885年、ローマ教皇レオ三世がカロリン諸島のスペインによる統治を承認したときから始まりました。フランシスコ会修道士2人と信者2人により2つの教会が建築され、ローマ字が持ち込まれ、その結果、部族間の闘争が終結されました。1899年、スペインはドイツにカロリン諸島を売却し、ドイツはこの島の資源開発に組織的に取り組みました。

第一次世界大戦でのドイツの敗戦に伴い、ベルサイユ条約の下、1919年にカロリン諸島は日本に正式に委任統治されました。パラオの文化に与えた日本の影響は今なお絶大で、経済活動や所有権・財産権を部族から個人へと移行させ、1922年にコロール島は南太平洋における行政管理の中心地となり、工場や商店、公共浴場、飲食店、薬局などが立ち並ぶ華やかな町として栄えました。

第二次世界大戦での日本の敗戦に伴い、カロリン諸島・マリアナ諸島・マーシャル諸島は国連信託統治地域としてアメリカの行政管理下に置かれ、その中の一地域として現在のパラオが名付けられました。アメリカは信託統治を通してパラオを独立国家とするためにインフラや教育制度の整備・向上を行い、その成果により、1994年10月1日にパラオはついにアメリカとの自主独立協定を締結して正式な独立国家となりました。

【年表】
1885年:スペインによる植民地化
1899年:ドイツによる植民地化
1919年:日本による統治開始
1947年:国連信託統治地域となり、アメリカによる統治開始
1981年:パラオ憲法施行、自治政府を発足
1994年:パラオ共和国として独立(10月)。国連加盟(12月)。

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